課金ゲーム

http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1749945.html

何が好きか、何にお金と時間を使うかは人それぞれ、多様性なので、自分の嗜好と違ってもそんなものだと思うのだが、
1972年生まれの私の世代は、ゲームはワンコインでどこまでいけるかというのを競うものだった。ゼビウス、1942、グラディウスなど、ゲームオーバーしてからそのまま継続できるコンティニューをゲームセンターで使う人は殆どいなかった。コンティニューは恥ずかしいことであり、少なくとも本人もお金を追加して先の画面を見ても、それを面白いとは思わなかったはずだ。

だから、コンプガチャなどでお金を使って何かを集めることで満足を得るというのを不思議に眺めていた。昔からお菓子のおまけを大人買いをして集めるというのはあったわけで、ゲームというよりそういうものに近いのだろうと思ってる。

ソーシャルゲームについては嫌悪感というより、まずはユーザーを飽きさせず売上を継続する胴元がどういう工夫をしているのだろうという方向に興味が向く。
http://finalrich.com/guide/10/guide10-condition-fool-snsgamehtml.html

DeNAの説明員 『この中でわが社のゲームをやったことがある方はいますか?』 誰も手を挙げず説明員 『そうですよねー。うちのゲームは高学歴の方はほとんどやりませんから』

一時、山のように引用されたこのくだりは好き。
私がソーシャルゲームに嫌悪感を持たないのは、愚行権におせっかいを焼く世間のほうが、より嫌いだからだ。

ソーシャルゲームで「知らないあいだにお金を使っていた」とよく聞くが、私はそういうことが殆どない。クレジットカードでもSUICAでも現金でもお金が出て行く痛みは同じだし、働いて稼いだ一万円もギャンブルで増えた一万円も同じ一万円だ。それでもたまには、もうちょっと調べればよかったかという失敗もある。それは資本主義の小さなコストだ。
http://www.chikawatanabe.com/blog/2008/01/costco.html


オレオレ詐欺で最初に持つ嫌悪感は、揉め事や失態をお金で解決しようとする被害者の発想だ。
こういう被害者に限ってジョージ・ワシントンの桜の樹伝説を好きだったりする。他人に「正直であれ」と説教を垂れるのが好きだったりする。サラ金から借り続ける多重債務者を批判し、代わりに返済してあげる親族を批判したりする。
こういうダブルスタンダードの人に対して同情を感じることはない。発想に悪感情を持つだけで、愚行の権利を妨げようとも思わない。

高齢者優遇の世の中、それを変えられない政治。オレオレ詐欺は高齢者から若者への所得移転、再分配であり有用だとまでは言わないが、そういう側面はあると思う。
http://d.hatena.ne.jp/Chikirin/20110712